室町時代後期に創業した和菓子店
虎屋(とらや)と言えば、日本でも五指に入るほど有名な和菓子店です。
とらやが創業したのは室町時代の後期で、後陽成天皇の在位中に御所の用事を聞いていたという記録があります。
創業から長らく京都で営業をしてきたのですが、明治2年(1869年)の遷都によって明治天皇が東京に移ったのに合わせ東京に出店することになりました。
現在では東京と京都の両方でお菓子づくりをしており、いずれも日本を代表する有名店として国内外の多くの人から買い求められています。
とらやはただの老舗菓子店というだけでなく、日本史において重要な役割をしてきたということでも有名です。
そこで「虎屋文庫」という和菓子文化についてまとめるプロジェクトが昭和48年(1973年)に創設されています。
創業以来宮中の御用を勤めてきたということもあり、「虎屋文庫」に記されているのは貴重なお菓子のレシピだけでなく当時の食文化をおしはかることができる貴重な内容です。
虎屋文庫は同志社女子大学図書館(京都市)で虎屋黒川家文書の一部をマイクロフィルムで公開しているほか、虎屋ギャラリーで見ることができます。
歴史上の人物と和菓子についてのエピソードも見ることができるので、お菓子好きのちょっとした豆知識として読んで見るのもよいかと思います。
とらやの羊羹に込められた長い歴史
とらやの主力商品といえばやはり食べきりタイプの羊羹でしょう。
とらやの羊羹は創業以来作られてきたものとされ、江戸時代後期(1800年頃)には現在のような寒天によって固めるレシピが完成していたといいます。
もともと「羊羹」というのは羊のスープを作ったときに出るとろみを用いたものでした。
日本に伝わったのは鎌倉~室町時代ということで、中国に留学していた禅僧たちが肉食を禁じられていたことから羊肉のスープによく似たものを植物素材で作ろうとしたことが始まりです。
とらやの和菓子はどれも天然素材にこだわった製法によって作られており、中でも「つくね芋」という石川県産の山芋をすりおろして使用しているのが大きな特長です。
また和菓子の命である餡づくりも相当に力を入れており、さまざまな種類の餡を作りお菓子の種類に合わせて用います。
とらやの歴史を詰め込んだ伝統菓子が「夜の梅」という小倉羊羹です。
「夜の梅」という名称は切り口の小豆が夜に咲く梅の花に似ているということから名付けられたもので、古今集の句の一つである「春の夜の 闇はあやなし 梅の花 色こそ見えね 香やは隠るる」が下敷きとなっています。
「夜の梅」は一口食べきりサイズの他に、ハーフサイズや本格的な竹皮包などさまざまなサイズで販売されています。