ポルトガル伝来の歴史のあるお菓子
金平糖は今から450年以上前にポルトガルから伝えられたとされるお菓子です。
記録では元禄元年に長崎で作られるようになったのが最初とされており、当時は庶民向けではなく献上菓子や富裕層向けの高価なお菓子として知られていました。
中でも有名なのが永禄12年に宣教師が金平糖を織田信長に送ったとされる逸話で、このときに大変に金平糖を気に入った信長はその後何度も取り寄せをしていたと言われています。
その後長崎から関西地域へ、それが江戸へと次第に広がりを見せるようになってゆき、初めて長崎で作られた1688年より140年近く遅れること1818年になってようやく江戸でも金平糖が作られるようになったとされています。
しかし長らく高級菓子として知られてきた金平糖であったため、一般の人が気軽に購入できるようになったのはさらにもっと後の時代のことで、爆発的に人気が出たのは明治中期~後期くらいの間になってからでした。
とはいえこの時代は他にも南蛮菓子として伝えられたお菓子も多く市販されるようになっており、ドロップやキャラメルといった他のお菓子の方が人気が高かったということもあり金平糖はしばらく姿を消すことになってしまいます。
再び価値が見直されるようになったのは日本が戦争を始めた頃で、戦場に持ち込んでもかさばらずに高い栄養価とカロリー値を発揮する金平糖は大変に重宝され、戦地のための食糧として多く使用されたということです。
一年に一度しか作られない金平糖がある
金平糖は駄菓子の中でも比較的人気の低いものとなっていますが、京都にはそんな金平糖を専門に扱う老舗の菓子店があります。
その名も「緑寿庵清水」というお店で、150年以上前から昔ながらの製法を頑なに守り続けて金平糖を製造しています。
専門店ということもあり大変にお店で販売される金平糖は質が高く、口に入れると自然に溶け出していくという駄菓子の金平糖とは一味ちがった出来として知られています。
お店で販売されている金平糖は常時50種類以上あるとされ、季節の果物を使ったフルーティーな金平糖やイベント向けの色鮮やかなパッケージのものまで見ているだけでも楽しむことができるバラエティー豊富な品揃えです。
そんな「緑寿庵清水」ではなんと一年に一度しか作らない「究極の金平糖」を予約生産により作っています。
幻の金平糖とも言われているのが「日本酒金平糖」と言われるもので、一箱3600円(税別)で桐箱に入った状態で発送されてきます。
日本酒金平糖とは地元京都の伏見の銘酒を使ったもので、じっくり時間をかけて精製することで日本酒本来の風味を残しつつお菓子としての高い完成度となっています。
毎年11月に作られるということで予約が殺到する品物となっており、購入にはキャンセル待ちをしなければいけなくなるほどのレアな金平糖です。
金平糖のイガはどうしてできるか
金平糖といえば独特のイガイガがついた形状が特徴となっています。
元禄元年の頃の金平糖は実はそうしたイガはなく丸い白一色のものだったと伝えられていますが、現在では製法の過程においてかならずつくものとされています。
金平糖は専用の釜を回転させてじっくりと固めていくのですが、このとき釜に触れている部分が熱で溶け出して回転によって固まるので、部分的に突出した部分ができていくのだといいます。
緑寿庵清水では金平糖を作るとき、職人が手作業で釜を回転させながら回して形状を作り上げていきます。
夏場は工場内が50℃以上になるということもあるそうで、そんな中で作られる金平糖だからこそ他のものにはない深い味わいを実現できているのでしょうね。