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南部せんべいとは

日本そば

せんべい汁で有名な南部せんべい

南部せんべいというと、八戸のご当地グルメの「せんべい汁」を思い浮かべるという人もいるのではないでしょうか。
「せんべい汁」はB級グルメとして有名で、それに使うせんべいとして南部せんべいは知られています。

このせんべい汁に使われている南部せんべいは、煮込んでもクタクタにならないタイプの「おつゆせんべい」が使われています。
その他にも、南部せんべいはそのまま食べても美味しい色々な種類のせんべいがあるのです。
今回は、こういった南部せんべいについて、見てみましょう。

南部せんべいの歴史を紐解いてみる

南部せんべいの歴史を紐解いてみるのも、楽しいものです。
その起源と言われる説は、3つあります。

第一説は、南北朝時代の天皇であった長慶天皇が八戸地方を訪れた際に、食事に困ってしまいました。
その時、家臣が近くの農家からそば粉とゴマを調達して、自分自身の兜を使い、せんべいのようなものを作ったという話です。

第二説は戦場での話です。
根城南部氏の兵士が、戦場でせんべいのようなものを食べていたとされています。

第三説は何と、キリスト様が出てきます。
処刑されずに、この地に訪れたイエス・キリストがパン代わりにこういったせんべいを作ったという話です。

このように諸説あるのですが、よく知られているのは第一説です。
第一説が、一番有力なのかもしれません。

南部せんべいの由来って?

では、南部せんべいの名前の由来について、考えてみます。
この南部せんべいは、南部藩の戦の時の非常食でした。
そのことから、「南部せんべい」という名前になったのかもしれません。

やがて、凶作の多い南部地方で困ったときの食べものとして、南部せんべいは広まって行ったのです。
因みに、南部藩は今の青森県の八戸市から岩手県の北上市にかけての地域です。

南部せんべいの特徴も踏まえておきたい

南部せんべいの特徴は、せんべいの裏側に刻印されている模様です。
この模様は「菊水と三階松」と言われる楠木家と赤松家の家紋になります。
といいますのも、先ほどの起源の第一説に登場した長慶天皇が兜でせんべいを作った家臣の赤松氏の苦労をねぎらい、「楠木正成のような忠節」として、せんべいに楠木家の家紋と赤松氏の家紋を入れることを許したのがきっかけでした。
こういったいきさつで、この「菊水」と「三階松」が現在に至っているのです。

南部せんべいの原料は何?

南部せんべいの原料は、家にあるようなものです。
それは、小麦粉と水と塩といったどこの家にでもあるような原料になります。
しかしながら、混ぜて練って型で焼くという作業は、かなりの労力です。

最近はシンプルな白せんべいのみでなく、胡麻ヤマメなどいろいろな種類が出てきました。
八戸を訪れたら、ぜひとも買って食べてみてください。